母親も「ひとりの出来損ないの女」だってことを、これ以上、もうこれ以上突きつけられたくもない。
リビングへ降りた。
そんなことを言ってたんだもんね。
少し空気が硬直する前、間髪入れずに言った。
私「…早く帰ってほしい、とか、4日間長いわぁ~とか、りえは短気だとかよく言えるな。聞こえてんで、2階まで。」
母「も~お、そんなん聞いてたんかいなぁ?(苦笑)ごめんごめん。本気でゆーてないやんかぁ。」
私「言うならせめて帰ってから言いや。どんな気持ちで聞いてると思ってんねん。…明日は朝イチで帰るわ。」
母「そんなん本気でゆってないやんかぁ!あんたはすぐ本気にする。ゆっくりしていきや、なぁ。」
私「いい。朝イチで帰る。」
充電ケーブルをとって、2階へあがった。
下でバツの悪い母がいつものように口数多く、父に言い訳のようなことを言ってるのが聞こえるけど、もういい。
溢れる涙以上に言いたいことなんて何もない。
「りえー、お風呂はいりやぁ。」
数分後、そう言いながら母が2階へ来た。
「もう…、ほっといて。」
涙声の私に、母が寄ってきた。
そして、思わず瞳孔を開くような行動に出た。
母は、私を抱きしめながら謝った。
「ごめんなぁー、お母さんが悪かった。ちょっとしんどかっただけなんやぁ。足にテープしてたの見たやろ?いつもよりちょっとしんどかっただけなんやぁ。でもそれをゆーたらりえちゃんまたイライラするやろ?今回はしんどかっただけなんやぁ。」
泊まりに行く初日、「お父さんと2人でジムに行ってるから昼間はおらんよー」なんて言ってた奴がしんどいって?
どのツラ下げて言ってんだか。
母が謝るその合間あいまで、私は小さく泣き叫んでた。
「そんなん、直接ゆってくれたらいいやんか。ちょっとしんどいから早めに帰って欲しいとか、事前にゆったりとか…。今回…、りえ、なんかワガママゆった?自分なりには気を遣ってたわ!」
「ゆってない、ゆってないよ。だからごめん。お母さんが悪かった。な?仲良くしよう。明日はゆっくりしていきや?もう仲直りしよ。だって“親子”やんか。」
親子?
いい言葉ねー。
親子。
ねぇ魔法かなんかなの?
自分が劣勢の喧嘩をしたときに使えばバツの悪い立場がクリアになる、そんな魔法なの?
母の前で嗚咽して泣くなんて…いつぶりなんだろう。
幼児期以来かな、嗚咽して泣きじゃくってる私の体を抱きしめながら母は謝った。胸をなでて、お腹をなでて、頬をくっつけるようにして。謝って、母も泣きそうだった。その謝ってるあいだも、「しんどかった。しんどかったんやぁ。なぁ、親子やろ?」…「仲良くしよ」。
もう、この人の口から、金輪際なにも聞けなくてもいいと思った。
母がおりた、下のリビングから聞こえる。
「りえー、いつまで怒ってんの。お風呂はいりなさいー。謝ったのにまだ怒ってるんかいな。」
彼女の謝罪は、いつも相手のためではなく自分のため。
だからなにも伝わらない。
むしろ怒りがこみあげてくる。
翌朝、オットが実家まで迎えに来る予定だった。
でも、お盆中のお盆で数十キロの渋滞が続き思うような時間に来れない、となり、私は待ちきれずひよりと一緒に家を出ることにした。
「迎えは?どこまで来てるん?まだなんやろ?」
「知らん。もう行く。」
「まっときーや。謝ったのにまだ怒ってるん?」
逆に聞きたい。
謝られたら、この胸の痛みは、傷は消えなあかんの?
実の娘に、可愛い孫に、「はよ帰ってほしいわ」なんて滞在中に思ってたことが、言ったことが、消えるん?
タイミングを考えず失礼をしたってことの謝罪は受けたよ。それは受け入れる。もういい。
だけど。
そう思われてたことは、この先一生忘れない。今後もし帰ることがあったら、2階で眠りにつくたびに、ひよりの顔を見ながら暗い部屋でひとり思い出すだろう。
どうして、あと1日待てなかった。
いつも悪口言ってるの、知ってるよ。
兄妹に電話すれば、誰か違う人間の悪口を言う。自分で電話すればいいのに、他の人間に「最近連絡とってるんか」と近況を聞いたり。それを想像するのも兄妹の口から聞くのもわりと平気だったよ。だって想像の範囲だもんね。この耳で聞いたわけじゃない。
でも今回は、この耳で聞いた。
「早く帰ってほしいわ。」
どうした?
お茶漬けを出しても帰らない厚かましいオバサンでもいた?
それとも、
夕飯がいるかどうかもわからないのに居座り続ける近所の子供達でもいた?
私たち、“親子”じゃなかったの?
アナタが綺麗に吐き出す「親子」ってなに?「家族」ってなに?
午前中に家を出た。
「ごめんな…。」と目も合わせずひと言だけ伝えて。
そして、坂を登ったところでひよりの水分補給に、自動販売機でカルピスウォーターを買って、少し飲ませてた。
「りえ」
車に乗った父の声だった。
「これ、忘れてるで。」
ビニール袋に、私の私物を入れて差し出した。それを握るとグッと引っ張って、「もう乗っていけや」と言った。「いやや」と、そう言った。
「乗っていけって」
「いやや!……ひより、おじいちゃんにバイバイは?」
「ばいばーい」
幼い頃、虐待を受けていた私たち兄妹を多少なり守ってくれていた父。
でも、ある日を境にそれはパタリとなくなった。いつものように虐待され、体にミミズ腫れを起こしながら金切り声を上げて逃げまわる私と、それを追いかける母に父が叫んだ。
「いい加減にせぇ!!!りえが死んでしまうやろ!!!」
すると母が近所中に轟くような罵声で父を怒鳴りつけた。
「やめへん!!!あんたは止める権利なんてないやろ!!!子供のことは全部私に押しつけて怒ったり嫌なことは全部私やんか!!!私だってアンタみたいに仕事から帰って、子供の可愛い寝顔見てるだけやったらこんなことせぇへんわ!!!そんな奴に止める権利なんてないやろ!!!そこで見とけばいい!!!」
それ以来、誰の助けもなくなった。
今回も、父はなにも言わず母の言いなりで、私が忘れた荷物を届けに来てくれた。だけど、その言いなりさえも腹が立って、父にありがとうも言えなかった。
その後、父から着信があった。
菓子折りを持たせてくれた義実家へと買ったものを忘れていて、ジャスコへ行くと言った私を追って、もう一度父が家を出ていた。「ジャスコの中を探したけどいなかったから郵送しておく」とLINEが来ていた。
母は、本当に言い訳ばかりで反省しない、そして動かない。
いつも犠牲になるのは子供と父。
そして、公園でひよりとブランコを漕ぎながら待つこと15分。
オットが来た。
少し哀しそうな、でも温かい、木漏れ日のような表情で迎えてくれた。
「おつかれさん。」