みみ、ふわり。

だって感情が突っ走るんだもん。

ライターとして大事なのは「どんなスキルが必要か」とかではないのかもしれないなって。


ライターとして「ここで書きたい」と思った会社でお世話になって2ヶ月。


なかなかいい展開になってる。


最初の1ヶ月でクオリティが評価されて、いきなり最上位ランクへの打診をいただけたり、私の記事がその月のアクセス1位になったということでインセンティブ報酬をいただいたり。


1ヶ月でいろいろとぐわっと来て今2ヶ月目。

今日は音響デーで、職場の先輩に「仕事どお?」って聞かれてさ、やっぱりライターとしての活動は上々な気がしてるってことで。


なんだろ。

私にとってライターのお仕事(あくまでキュレーション系)って、努力しなくても一定のレベルまで達するというか。

カメラマンとしては、まーじーでピッタリの表現で「素人に毛が生えたレベル」ってくらいだよねー、うんw


物を書くことが好き、得意って考えたときに、すごく本を読んでいた経験とかが活きてるのかなーって話してると、先輩はそうではないんじゃないかと。

「私も本を読んでいたけど文章を書くのはほんとに苦手だから」と言う。


うむ。

否定はできぬ。


「普段から喋ってても思うけど、言葉を選ぶ瞬発力というか、りえさんのそれにはすごいなーって感じてた。いろんな言葉で表現するし、迷いなく瞬間的に選ぶ言葉のバラエティーが豊富だよね。」


そのあとが強烈だ。


「くだらない話ばかりだけど」


おいやめろw


「でも、ひとつのテーマであれだけの量を書けないし、それを何本もっていうのがもうすごい。」


でも、努力という努力はしてないし、技術とかなんにもないし、じゃぁなにが幸いしてライターとか出来てんの?って言われたら、あたし、人より頭ひとつ抜けてもってるものがあるんだ。














「感受性」




クリエティブな仕事をするにあたって、感受性や感性は絶対必要条件じゃないかと思う。


「りえさんぐらい感受性が強いとすごく生きづらくないですか?」


なんて私にいつか言った読者は誰だよw
なんとかまだ生きてるぞ。


ひとつのテーマを見ただけで、疑問点とポイントと裏テーマなんかがポポポンと連なって出てきて、そこからキーセンテンスがパパッと浮かぶから、努力とは違う次元ですすめられることのひとつなんだよね。


そこに、読み手の意識や、専門性、センスなんかが光ればもっとあがってけるんじゃない?ってところなんだけど、私、副職ライターとしては世間一般的に言われてる最高ランクの報酬いただいてるからもうそれで満足。


あとは、ディレクション(編集)側にいつか回ってお仕事もしてみたいなとは思うけど、今はカメラも案件が増えてやったー!ってとこだしね。


もしあたしが、音響もカメラマンもやめて、ライター本業でやるなら、もっと学びと本数を入れなきゃいけないんだろうけれど、自分の感性のままに書ける程度のライターとしてはいい位置にこれた♡


でも、自分の記事のクオリティに満足したことってなくって、他の人の表現みてて感心することばかりだし、羨ましいなって思ったりするけど、どんなに憧れても、オリジナリティーが強いほど、例え真似してパクっても、それを生み出した本人には勝てないからこの世界が好き。


だから、自分の感性や表現は愛していたいなーって思う。


それは、ライターとして書き連ねた記事ではなくて、ここの話。






いくつになっても不出来な、私の話。